そんな状況ですぐにできたものが漫画だった。絵には自信があり、少女漫画雑誌を見てこれならいけるというのと賞金につられて投稿し始める。とんでもない新人である。
ただ他と違うのは実際に賞を取ったこと、とるどころか賞金稼ぎのごとく取りまくった。
新人離れした才能の片鱗はこの頃からすでに発揮されていた。
早い。あまりに早い。そのペンをとってから漫画家寺沢武一の誕生まではここからもうすでに目の前である。
ただ少女漫画は自分が描けないことをすぐに感じ、虫プロの門をこのあと叩く。
1976年。
虫プロに投稿してスタッフに捨てられた原稿がたまたま手塚治虫の目に止まる。
この時、手塚治虫はその画に衝撃を受けたという。即寺沢氏に声がかかり、プロダクションのスタッフとして働くようになる。その際家財道具ごと引越して来たその肝の太さというか奇抜な行動は皆を驚かせる。
ただ寺沢氏もそのプロの職場で手塚治虫の仕事を横で見て、それぞれバラバラの画が手塚治虫の手に集まると次第に一つの物語になっていくさまに驚きを通り越した衝撃を受け、まるで魔法のように見えたと後にインタビューで語っていました。
手塚治虫を崇拝しつつ、その仕事を横でみることで急速にその片鱗を開花させていく寺沢氏。
ここから寺沢氏にとって大きな躍動の年、1977年を迎えます。
1977年。
スタッフとして働く傍ら描きあげた「大地よ蒼くなれ」が手塚賞佳作に入選。そしてジャンプ増刊号にて「COBRA」の読切が掲載される。
この1977年はジャンプにとっても変革の年。前年から連載が始まった「こち亀」と入れ替わるように当時最長巻数漫画の「トイレット博士」が連載を終了する。
江口寿史が読切りを経て連載を開始と着実に今までの世代とは違う層が漫画界の表舞台に登場しはじめた、そんな変革の中に寺沢氏も独立をした1977年。
COBRA連載をひっさげての表舞台への登場は翌年である。
この「COBRA」登場前夜、1977年躍動する寺沢氏の髄が詰まったといっても過言ではないのがこの2つの話。
「大地よ蒼くなれ」は上でも触れた手塚賞佳作に入選したエポックな作品。「シグマ45」はコブラの原型と言われることの多い作品。
賞金稼ぎの時代から手塚治虫の元で仕事し、その中で産み落とした作品がこの2篇です。
内容にはあえて触れませんが、すでに寺沢武一以外のナニモノでもなく一見して完成された空気を感じます。
漫画読みなれば一度は触れておきたい。惜しむらくはこの話はこの冊子でしか読めないこと。
メディアファクトリー版「COBRA」の全員プレゼントにて手に入る冊子で、1〜6巻の帯にて「大地よ蒼くなれ」、7〜12巻の帯にて「シグマ45」がもらえるというものでした。メディアファクトリー版コブラが刊行されて数年を経た現在、この冊子なかなか市場に出ないんです、全員プレゼントにもかかわらず。
去年からのCOBRAアニメ化という情報に始まって一気に寺沢氏周辺がにぎやかになってきました。
その中でのこの冊子。ますます難しくなることは間違いありません。初期の躍動に触れるならばこの機会においてありません。
(担当 竹下)
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