序 問題の発端

2020年3月、中野サンプラザに付設するレストランで、ノヒイジョウタと池田潤子はHOT・Bの元社長、高橋輝隆氏に初めて対面した。元HOT・B社員栗山潤氏の仲立ちで、これも元HOT・B社員の小島志緒理氏も同席していた。

高橋氏と小島氏は現在ジョイフルスターというゲームメーカーをやっている。思い出話ははずんだが、「星をみるひと」の具体的な制作話はなかなか出てこなかった。無理もない。発売から33年経っているのである。ただ一点、高橋社長がはっきり断言したことがあった。それは「星をみるひと」の制作がひどく遅れたということだった。

「ありえないほど遅れた」高橋社長はそう言い、付け加えた。「ほんと遅れたんだよ。俺、怒ったもん」……その言葉には、忘れようにも忘れられないとでもいった実感がこもっており、ノヒイと池田の耳に残った。

ノヒイは考えた。「ありえないほどの遅れ」とは一体どのくらいの期間を指すのだろうか。

「星をみるひと」は1987年10月27日に発売されている。『ファミコン通信』その他、当時の雑誌に記載されたこの日付は、文字通りファンが一体となって祝う記念日だった。制作が遅れての10月27日なら、この企画はいつ始まったのだろう。開発はどのような紆余曲折をたどり、どんな格闘を積み重ねたのだろうか。その遅延はいかにも「星をみるひと」らしい迷走ぶりを示すもののようだった。

高橋社長との対面から数日後、ノヒイのもとには小島氏から一通のメールが送られてきた。HOT・Bの発売ソフト一覧を載せた貴重な内部資料のスキャンデータであった。「ザ・ブラックバス」「オーバーホライゾン」などずらりと並ぶ作品の中、「星をみるひと」の名前を見つけたノヒイは、次の瞬間、自分の目が一点に釘付けになるのを感じた。

発売日 87/11/18
商品名 星をみるひと
ハードウェア FC
販売元 河田
発売日が87年11月18日?……これは何かの間違いではなかろうか。

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HOT・B社内向け資料にはコンシューマタイトルのほか自社ブランド名義のパソコンゲームの情報も網羅されていた

【1】 11月18日を自力捜索、行き詰まってツイッターで呼びかける

「星をみるひと」の製造元が、我が子の誕生日は十一月十八日だと言っている。これは書き間違いではないのだろうか。慌てて問い合わせたノヒイへの小島氏の回答は次のようなものだった。

「もはや確認するすべがないのですが、
①発売日を頻繁に遅延していた頃の商品だった
②インターネットが無かったので、雑誌に掲載された情報は1ヶ月ほど前の情報で、急遽修正することは今より困難だった
ということを考え合わせると、11月18日が実際の発売日である可能性が高いと思います」

それでは11月18日が正しいのか。にしても、これは今まで聞いたこともないあまりにも唐突な日付であった。

調べると内部資料で販売元の「河田」とあるのは、ダイヤブロックを販売したカワダであるとわかった。ノヒイは『玩具商報』や『トイジャーナル』などで「星をみるひと」11月18日発売の根拠がないか、猛然と捜索し始めた。池田が国会図書館で『ファミコン通信』以下主なゲーム雑誌をあたり、できる限りの調査を進めたが、11月18日の日付は現れない。河田へのつてもなく、古い玩具問屋への問い合わせもすべて空振りに終わった。

思いあぐねたノヒイは悩みに悩み、ツイッターで呼びかけることを決心した。悩みながらも一晩だけ待った。折しもその日は4月1日。エイプリルフールにこの内容を拡散する勇気はなかったのである。

2020年4月2日、ノヒイはツイートした。

【拡散希望】「星をみるひと」の研究である問題が発覚したため、以下に当てはまる方を探しています。
・1987年頃にゲームソフトを取り扱う店舗や流通にかかわってきた方
・同年10~11月のゲームソフトの入荷・出荷記録を保有されている方
・河田という問屋にかかわりのある方詳細はツリーにて

【2】11月18日発売資料の出現 ……『ゲーム年鑑』1987年版

ツイッターの効果は絶大だった。ノヒイが4500余のリツイートを受け多くの協力者の知遇を得る中、資料収集の専門家、現・日本ビデオゲーム考古学会会員のナポリたん氏はさっそく当時の雑誌や書籍から「星をみるひと」の発売日一覧を作成し、ノヒイに送付された。この情報は瞠目すべきものだった。

当時の雑誌が10月27日発売で一致する中、唯一『ゲーム年鑑』1987年版だけが、「星をみるひと」を1987年11月18日発売としているのだ。

ノヒイは驚愕し、それまで懸命に捜索しながらも内心11月18日は現れないだろうと思っていた自分をかえりみた。当時の『ゲーム年鑑』の編集プロダクション、キャラメル・ママに問い合わせると、『ゲーム年鑑』はゲームメーカーとの直接のやり取りによって情報を得、校正でもメーカーのチェックを受けていたという。(注1)

『ゲーム年鑑』は直接HOT・Bから情報を得ていた。ここに至ってノヒイは、HOT・Bの誤記の可能性すら疑っていたこの11月18日が、会社側にはっきり認識されていたことを認めなくてはならなくなった。

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【3】「星をみるひと」発売周辺 ……『ファミコン通信』1987年22号

そもそも10月27日発売予定に至るまで、「星をみるひと」は数度の発売延期をしている。その都度広告を打ち直し、やっと確定した10月27日。そこからさらに遅れたのなら確かに高橋社長が憤慨したのも当然だった。

だが、不用意な発売延期は任天堂から制裁が科されることもあったと聞いたことがある。年鑑ショックさめやらぬノヒイは、遅延の可能性を得心するためにも、同時期のファミコンの発売日を漁り、周辺状況を調べ始めた。

まずは『ゲーム年鑑』で1987年10月~12月発売のタイトルをチェックし、他の資料の発売日と突き合わせてみたが、「星をみるひと」のようなズレが生じているものは見つけることができなかった。

次にノヒイは『ファミコン通信』の「クロスレビュー」という新作レビューページに記載された発売日と、同誌巻末の発売スケジュール表とを突き合わせてみた。すると、「星をみるひと」が発売されたまさにこの時期、月をまたいで発売延期しているタイトルが複数存在した。

「アルテリオス」(ニチブツ) 10月下旬から11月13日へ
「アウトランダーズ」(ビクター音楽産業) 10月中旬から12月4日へ
「宇宙船コスモキャリア」(ジャレコ) 10月30日から12月11日へ
「トップガン」(コナミ) 10月27日から12月11日へ

驚くべきは、これらの遅延タイトルがすべて「星をみるひと」と同様、『ファミコン通信』1987年22号(10月16日発売号)のクロスレビューに取り上げられた作品なのである。クロスレビューでの発売日と巻末のスケジュールで告知された発売日のズレが、この22号のレビュー掲載作に集中して起きており、他の号の作品には認められない。

当時のゲーム雑誌の入稿体制をみると、たとえば『ファミリーコンピュータマガジン』では、入稿は発売日二週間前を基本とし、ただし鮮度が重要な最新情報や目次などはぎりぎりまで入稿を遅らせたという。桃栗たき子氏によると、『ファミコン通信』もおおむね同様だった。すなわち、クロスレビューのページは通常の入稿期限で作成され、ランキングや巻末の発売スケジュールなどは、製版ぎりぎりまでデータを更新していたと考えられる。だが通常ほとんど見られないこのズレが、87年22号の掲載作に集中しているのは何故なのだろうか。ノヒイは必死に考えた。何らかの外的な事情がこの時期のソフト発売に影響を及ぼした。そして「星をみるひと」もまたその渦中にあったのだ。

【4】ふたつの祝日 ……10月27日と11月18日

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現在、ファミコンのソフトに関する情報は任天堂の管理下にあり、その内部で「星をみるひと」の発売日が何日とされているか、知ることはできない。

ツイッター拡散時、ノヒイのもとには「10月27日発売直後に(「星をみるひと」を)見かけた」、また「発売延期のチラシがショップに貼られていた」との相反する証言が寄せられた。発売日をめぐる探索はまだ落着していない。

同時期の雑誌の発売ランキングを見ると、ひとつだけ11月18日以前に「星をみるひと」がランキング入りしている雑誌がある。

『マル勝ファミコン』1987年11月13日発売号(No.24)で、「星をみるひと」はランキング28位に顔を見せている。その後、同誌11月27日号では18位に浮上、次の12月11日号では30位に後退。この『マル勝ファミコン』のランキングは、店舗での売り上げだけでなく協賛サークルや読者の人気投票などを総合し編集部で独自に数値化したものを用いており、発売日データとして一概に扱うことはできないが、「星をみるひと」が11月18日以前に出回っていた痕跡ではあるだろう。

ひとつの仮説としてノヒイは、11月18日が単なる発売日ではなく、初期ロットの完納日を示すものだったという可能性を考えている。高橋輝隆氏、木下亮氏によれば「星をみるひと」の製造数は5万~10万本だというが、この定数通りの出荷がなんらかの事情で10月27日に間に合わず、11月18日に完納したのであるかもしれない。

探索は続く。ファンが守り育ててきた10月27日、そして突然内部資料から出現した11月18日、そのどちらにも意味はあり、その意味を考え続けることがノヒイにとってゲーム人生の大きな転機となったこの一年だった。

次回は、「星をみるひと」の発売遅延をめぐり、全体の状況と個別の状況の両面からさらに掘り進むノヒイの探索をお届けする。

注1 元『ファミ通』編集部ライター、桃栗たき子氏のご協力による。なお、キャラメル・ママでは当時の編集に携わった赤松氏に回答いただいた。
注2 該当雑誌は『ファミコン通信』『ファミリーコンピュータマガジン』『ファミコン必勝本』『マル勝ファミコン:』『ハイスコア』『Hobbys JUMP』。

この調査に関わってくださったすべての協力者の方々に深い感謝を申し上げます。