[一]

前回のあらまし ~「星をみるひと」
発売日問題スタート

前回から番外編として「星をみるひと」の発売日をめぐるノヒイジョウタの探索をお届けしている。今回はその第二弾、まずは前回の内容を振り返りたい。

「星をみるひと」は1987年、HOT・Bから発売されたファミコンゲームである。かねてよりその難易度の高さや世界観の秀逸さ、操作性の理不尽さで知られ、多くの熱狂的なファンと怨嗟の声とを生んできた。このゲームに取り憑かれること十数年、すでに病膏肓に入った感のあるノヒイジョウタは、2020年3月某日、HOT・Bの内部資料で「星をみるひと」が1987年11月18日発売と記されているのを見て驚いた。なぜならこの作品は「1987年10月27日発売」でファンの間に浸透しており、ノヒイもまたそれを信じて疑わなかったからである。突然の新説はにわかに受け入れられるものでなかったが、とはいえこの説がほかならぬ製造元から出てきたことも、看過できない事実であった。

かくして発売日問題の調査が始まった。が、当時の雑誌を博捜しても11月18日の記載は現れない。内部資料の誤記ではとの疑念も高まる中、この事態を大きく変えたのは、現・日本ビデオゲーム考古学会所属ナポりたん氏からの情報だった。氏の作成した表によれば、見る限り10月27日発売で雑誌の記載が一致するのに対し、唯一アスキー発行『ゲーム年鑑』1987年版のみは発売日を11月18日と記載しているのである。『年鑑』がメーカーから直接情報を得ていたとの証言も入り、11月18日がHOT・Bの公式見解だったことがわかってきた。

ノヒイにとって「星をみるひと」制作の遅延ぶりは初耳でない。だがそんな遅延の末の10月27日発売がさらに11月18日にずれ込んでいたとするならば、それは一体いかなる事情によるものなのだろうか。ノヒイは同時期のファミコンソフトの発売延期の痕跡を網羅的に追った。当時『ファミコン通信』は「クロスレビュー」というレビューページで毎号複数本の新作を紹介し、他に巻末で発売予告情報を載せていた。巻末予告は通常より締切が遅く、より生の情報を載せることができる。この両者を見てゆくと、クロスレビューで告知された発売日が、巻末情報では月をまたいで遅延しているケースが複数作品見つかった。「アルテリオス」「アウトランダーズ」「宇宙船コスモキャリア」「トップガン」・・・なんとこれらはすべて『ファミコン通信』1987年10月16日号のクロスレビュー紹介作なのである。そしてさらに驚くべきは、この同じ号のクロスレビューに「星をみるひと」も入っているのだ。

まさにこの時期、新作ファミコンソフトの発売を延期させる大きな事情が存在したのではないか。そしてその事情が「星をみるひと」の発売も延期させたのではないか。

11月18日発売の可能性は高まった。だが一方で「星をみるひと」は、角川書店『マル勝ファミコン』1987年11月13日発売号で、編集部独自の集計方法ながらランキング入りしており、10月27日前後の発売の可能性も捨てきれない。これが前回までの主な探索のあらましである。そしてここからは、その発売延期をめぐる全体的な事情と個別の事情、双方についての調査の進捗状況である。

[二]

発売延期に関する事情[1] 全体的な状況から

『ファミコン通信』1987年10月16日号のクロスレビュー紹介作は、七作品中四作品が巻末ページの記載では発売日が大きく延期されている。これは同号のクロスレビュー作にしか見られぬ特異な事態であり、残る三作のひとつ「星をみるひと」も同じく延期が濃厚だ。

この号に集中する発売日延期はいったいなぜ起こっているのか。『トイジャーナル』1987年11月号「マスコミレーダー」は、「トレンド」として『日本経済新聞』同年10月7日から転載した次の記事を載せている。

「マスクROM品不足深刻化 マスクROM(読み出し専用メモリー)の品不足が深刻化してきた。日米半導体摩擦の対象品目で国内価格が急上昇しているEPROMからの代替需要が増えているうえ、クリスマス商戦を控えたゲーム機メーカーが量産体制に入っているからだ。半導体メーカー各社で、増産体制に動いているが、おう盛な需要の伸びに対処しきれず、通常4週間の納期が、1~2週間遅れるケースが目立ってきた」

日本経済新聞は、同年12月3日にも「マスクROM需要ひっ迫 ゲーム機生産計画に支障」と報じ、半導体不足の深刻な影響を伝えている。ファミコンソフト発売延期の理由として、まず検討せねばならないのはこれであろう。たとえばこの時期、売り上げが見込めるキラーソフトの製造数確保のためマイナータイトルの発売が延期された可能性はあるのだろうか。

ノヒイが見る限り、同時期発売の人気作としてはハドソン「桃太郎伝説」、および、本来この年12月発売予定が翌年2月に延期された「ドラゴンクエスト3」が挙げられる。「桃太郎伝説」の初回出荷本数はおよそ50万本とされ、「ドラクエ3」初回の出荷本数は一〇〇万本。こうしたキラー商品が半導体不足を加速させ、「星をみるひと」などの発売に影響を与えたのだろうか。だが、これを突出した理由とするだけの根拠はいまだ得られていない。また当時のゲーム業界を覆っていた半導体不足の問題と『ファミコン通信』10月16日号との時期的な関連も説明できないのである。

半導体不足を含むなんらかのトラブルが当時の新作ソフトを襲っていたとするならば、その調査は個々の作品の製造過程の掘り下げとともに進められねばならない。ノヒイはまだその端緒についたにすぎない。

[三]

発売延期に関する事情[2]
「星をみるひと」の制作状況から

一方で「星をみるひと」個別の事情も見えてきた。これはノヒイのみならず、一部の「星をみるひと」ファンにはよく知られた「あのパッケージ裏の間違い」に関わっている。

そもそも多くの点で名高い「星をみるひと」は、製品パッケージの裏においても有名である。箱の裏にはゲーム画面の画像が載っており、「星をみるひと」の主要登場人物四人のグラフィックが「みなみ、しば、あいね、みさ」の順で並んでいる。だが実際のゲームでの並びは「みなみ、しば、みさ、あいね」(図1)。この並び方のズレをノヒイは15年前、知人から教えられた。だがパッケージ製造時にまで及ぶこのミスが、作品のスケジュールにどのような影響を及ぼすか、そのときは考えもしなかった。

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図1
パッケージ裏(上)
製品版の画面(下)

今回の調査で、ゲーム雑誌を精査したノヒイは、雑誌『マル勝ファミコン』が発売前の「星をみるひと」特集を3回にわたって掲載していたことを知った。一回目は1987年第19号(8月27日号)、二回目は同年第20号(9月11日号)、そして三回目は同年第21号(9月25日号)。ここに「星をみるひと」製作陣の陥っていた不穏な事態の痕跡が残っている。

まず一回目の特集「主人公はこの4人だ‼」という人物紹介を見よう(図2)。4人のイラストとゲーム画像および得意技が掲載されている。ゲーム完成版の名前は「みなみ」「しば」「あいね」「みさ」だが、ここでは「みなみ」は「きよた」、「あいね」は「かいね」となっている。ただしそれぞれのグラフィックや得意技は出来上がり、ロングジャンプが得意の「しば」、テレパシーを使う「かいね」(あいね)、シールド(防御)に長けた「みさ」など、はっきりキャラクター分けされている。

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図2
マル勝ファミコン
1987年8月28日号より

二回目、9月11日号の特集では「4人は、よりたくましく成長するぞ‼︎‼︎」というコピーのもと4人のグラフィックが並び、その下に名前と得意技が載っている(図3)。きよた、かいねの名前は変更された。グラフィックは左から「みなみ、しば、あいね、みさ」。だがその名前は「みなみ、しば、みさ、あいね」の順で並ぶ。短い髪の「あいね」のグラフィックに「みさ 人の心を読む能力がある」と解説がつき、右端のロングヘアの「みさ」には「あいね シールドの能力がある」と書かれている。あいねとみさのグラフィックと名前が取り違えられている。

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図3
マル勝ファミコン1987年9月11日号より

ちなみにこの二回目特集は本体のゲーム画面も掲載している。このゲーム画面も「みなみ、しば、あいね、みさ」の順にグラフィックが並び、選択肢は上から「きよた(=みなみ)、しば、みさ、あいね」と並ぶ。製品パッケージ裏のズレ方はこれと同じ。みなみがきよたになっているのは、特集撮影時点で最初の情報が残っていたのだろう。

おそらくは当初「みなみ・しば・みさ・あいね」だったのを、或る時点で「~あいね、みさ」のように、キャラクターが仲間に加わる順番に直したのだ。だがグラフィックしか変更せず、選択肢の表記は見落としたのだった。

そして三回目特集、九月二十五日号(図4)。ここではESP属性ごとすっぽりと取り違えられており、さらに傷口は深い。間違いにスタッフはまだ気づいていない。この致命的なミスが発見されたのは一体いつだったのだろうか。取り違えの画像は公式チラシやパッケージに見られるだけでなく製品説明書にさえ登場し、何の訂正もなされていないのである。HOT・B元社員、栗山潤氏によれば、当時ファミコンソフトのマスターアップは発売日の三か月ほど前だったという。『マル勝ファミコン』の特集掲載時期から見積ると、この間違いの修正時期はどう見ても相当あとになる。おそらくゲームソフトのマスターアップ後、短期間でグラフィックだけ入れ替える手法で慌ただしくおこなわれた のではないかとノヒイは考える。土壇場で発覚したこの事態が、「星をみるひと」のスケジュールに大きなブレーキをかけた可能性は十分想定されるのだ。

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図4
マル勝ファミコン
1987年9月25日号より

『マル勝ランキング』の特集には、発売迫る「星をみるひと」制作現場の不穏な抜け具合が現れている。なお、同誌は、独自のランキングながら11月18日以前の「星をみるひと」へのユーザー反応も載せており、今後掘り下げてゆかねばならない媒体だろう。『ファミコン通信」のクロスレビュー等も含め、発売日問題の調査は、当時の出版・編集の現場を考えることとも深く関わっている。

[四] まとめ

「星をみるひと」の発売日問題はいまだ決着がついていない。遅延の可能性は高いが10月27日直後の目撃情報などもある。さらにここで、任天堂内部では「星をみるひと」の発売が10月27日と認識されていたことが明らかになった。教えてくださったのは本郷好尾氏。かつて任天堂で、ゲーム雑誌『64Dream』に「教えて本郷さん」を連載していた伝説の広報マンである。

10月27日か、11月18日か。ひとつの可能性として、11月18日は発売日というより初期ロット分の完納日ではなかったかとノヒイは考えている。マスターアップ後の一大修正にスタッフは大わらわで取り組んだが、予定通りの出荷は間に合わなかった。修正後、短納期で製造できた順に小出しに出荷をし、完納できたのが11月18日だったのではないかという推測である。最初に店頭に並んだ日付と予定通り市場に並んだ日付、すなわち発売を待つユーザーと出荷側のメーカーにとっての「発売日」の認識のズレが、今回の問題を生んだのではなかろうか。だが半導体不足との関わりの調査などもあり、この先の課題は大きい。

「星をみるひと」の謎は知れば知るほど深まってゆく。この作品、そしてこれを作ったHOT・Bの振れ幅の大きさは、ゲーム史の多様な相貌を垣間見せ、さらにノヒイをのめりこませる。病は膏肓に入り、もはや手の施しようもない。

「星をみるひと」の考察はここでひとつの区切りとする。次回からはゲームメーカーHOT・Bの足跡を取り上げたい。HOT・Bの出発から終焉までの紆余曲折を可能な限り追うことで、ゲームの歴史の深奥に僅かなりとも迫ることができるなら、ノヒイにとってこれ以上の喜びはないのである。

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「本郷氏資料」
本郷氏より提供された資料の一部には、確かに10月27日と記されている