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Mariko Tada2023.3.22

Mariko Tada「まんだらけ社員食堂と日々の映画の記録⑤」

本間優二。鑑賞後そう何度も頭の中でつぶやかずにはいられなかった。『狂った果実』と言っても石原裕次郎主演のあの太陽族映画ではない。1981年のにっかつロマンポルノ作品『狂った果実』、鑑賞後自分が熱を帯びていることがわかりそれを冷ますためにすぐ映画館を出て夜の渋谷の町で一人瓶ビールをぐっと飲み干したことは覚えている。

かつて暴走族・ブラックエンペラーの3代目総長を務めていた俳優・本間優二。この映画の主演は彼で、ガソリンスタンドと暴力バーのボーイを掛け持ちして働く田舎青年という役である。ふとしたきっかけで知り合う奔放な富豪の令嬢・千加、両者それぞれを取り巻く環境や人間の違い。貧乏な田舎青年をバカにする富裕層の少年少女たちへの怒りは血だらけの暴力として爆発していく…。
雨上がりの冷えた路地、魚屋の店先でバケツに泳ぐ鯉を1匹買って帰る本間。包丁一本で捌いて鍋にたっぷりと出来上がったのは鯉を味噌で煮た長野県の郷土料理、鯉こく。熱々の鯉こくを白米と一緒に食べながら彼は田舎の母へ近況を伝える電話をする。

まんだらけの社員食堂では各地の郷土料理が不定期でメニューに登場する。ほうとうやソーキそば、すったてうどんなど、食べたことのあるものから名前を初めて聞くものまで様々で、こういった日本各地の料理を食べて知るのは小学生・中学生ぶりなのでは、としみじみ感慨深い。

血と暴力とエロスが充満するあの世界で鯉こくの存在感はどうしても美しかった。郷土料理には土地の風土や生活のにおいが染み付いており、そこに流れる野生的で純粋なエネルギーは都会で生活しているとなかなか感じることはない。本間優二が『狂った果実』で見せたエネルギーはそれを彷彿とさせるものだった。アリスの名曲「狂った果実」が流れるなか彼が再び母へ電話するラストシーンを見て、ああなんだか美しいなと感じた時、自分の中の郷土料理観も変わった。社員食堂で湯気の立つ土鍋に入ったほうとうのかぼちゃのどうしようもない素朴さと対面し「狂った果実」をそっと頭の中で歌う。今どこで何をしていようと誰にだって故郷はありそこには郷土料理というものがある。湧き上がる郷愁と静かな興奮を抑えながら、同じようにほうとうを食べるまわりのスタッフたちをしみじみと見渡してしまった。

『唐獅子株式会社』という映画全体を漂う、あの日曜午前11時の清々しさはなんだろう。
冒頭の2度にわたる横山やすしの出所シーン(1回目はミス)からのザ・80年代東映的ポップで渋い音楽、空を見上げる横山やすし、敵の組に拉致されすし詰め車内でみんなで合唱するシャネルズ「ランナウェイ」。晴れた国道をどこまでも行けるような、そんな気分だ。

3年ぶりに出所した須磨組のダーク荒巻(横山やすし)、出迎えたのは「唐獅子通信社」なる見慣れぬ看板。先進的な須磨組組長(丹波哲郎)はその後も次々と事業に乗り出し、横山は最終的に、芸能社を作って「新人歌手をスターコンテストで優勝させろ!」と命令されてしまう…。
なぜかこの作品では丹波哲郎らがフランス料理を食べる場面が長々と映される。というのも丹波の息子はヤクザの後継にはならずフランス料理のシェフになってしまうという設定だからである。フランス料理の名前や食べ方がわからずしれっとした顔でずるずるとスープを啜る丹波や、デザートのフランベに驚く横山たちが楽しい。

まんだらけの社員食堂でアッシ・パルマンティエという料理が出た。これはマッシュポテトと細かく刻んで炒めた牛肉を重ねて焼き上げるフランスの家庭料理。グラタンのような料理で日本人にも馴染みやすい味だが聞き慣れない横文字に最初は「ア、アッシ…?」となってしまった。テーブルについた丹波哲郎らが澄ました顔で「ア、アッシ…」となっているところを想像してしまう。

『唐獅子株式会社』を観て勝手に日曜午前11時にタイムスリップしたら、来たる夜に向けて夕飯のことも考える。じゃがいもと牛挽肉、ある意味コロッケと同じ成分でできたフランスの家庭料理アッシ・パルマンティエは日曜ディナーにぴったりのご馳走だ。

劇中で甲斐智枝美歌う「唐獅子ロック」、どうしても泣いてしまうような音階がそこにあった。日曜夕方のちょっぴりエモーショナルな時間帯には「唐獅子ロック」を口ずさみながら温かい料理を用意して、家族や友人、恋人の「アッシ…」というキョトンとした顔を一瞬眺めた後、みんなでわいわい言いながら平らげたい。

『唐獅子株式会社』から始まる一日の温かさは、たぶん映画そのものの温かさだ。

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