岩井の本棚 「マンガけもの道」 第24回 |
埼玉県民の暗黒時代
(図1)
ひどい人はスキーで登校するんでしょうとか、人々はかんじき(忍者が水遁の術で使うようなクツです)をはいて雪道を歩き、冬は親父が出稼ぎに出て、子供達は冬季分校に通う、と本気で思ってたりします。 いくら新潟でもどこでも豪雪地帯というわけじゃないし、全員がスキー名人でコメ農家ってわけじゃありません。
このように他県人からそういわれると憤慨するものの、自分のもっている知識もあまり大差ないあやふやさだったりします。
僕も北海道出身の友達に聞くまで、ここ北海道は、あまりの寒さにみんな鼻からツララを垂らして歩いているとか、 凍死者が毎日のように出たりとか、牛乳を浴びるほど飲みバターをなめまくり、海には毛ガニがウジャウジャおり、 街にはいたるところに「道の駅」があり、猟友会が猟銃を持ってウロウロしている、と思ってました。
これはネタではなくて本当です。人のことはいえませんね。
(図2)
かつてある英和辞書で「コミックタウン・・・日本でいえば名古屋のようなところ」と記載され名古屋市は猛抗議したというし、 ある海外の雑誌に「大阪は治安が悪く品がない街」と世界の大都市評価でかかれたとき府が猛抗議したと聞きます。
それ以外にも、もちろん住民が強い反発と抗議を寄せていることは想像にかたくありません。
というわけでイメージダウンにつながることはそうそう公の場所では口にできないものなのです。例外を除いては。
その例外でこんなのを最近見つけました(図1)。
「少女A SEX・ドラッグ・池袋」
いいイメージ皆無ですね。無法地帯です。
アムステルダムみたいですね。妙にゴロがいいのも気になります。
豊島区はなぜ抗議しないのか。むかしはセックス、ドラッグと来たら最後はロックンロールだったんですけれど、いまやロックは池袋以下という事ですね。
この本、マンガけもの道第17回で取り上げた「わたしのからだ わたしのねだん」の芹沢由紀子の最新作。 人生破滅モノとしてもネタとしても抜群に面白いのでいつか紹介しようと思います(図2)。
特定の地名を出してバカにするのはそういうわけでリスクを伴うのですが、過去、とんでもないマンガがありました。
一部で有名な「翔んで埼玉」というマンガをご存知でしょうか。
「パタリロ」の魔夜峰央の作品で「やおい君の日常的でない生活」(86年発行)に収録されているこれ。よくぞこんなものがお咎めなしで発行されたものです。
「パタリロ」の魔夜峰央の作品で「やおい君の日常的でない生活」(86年発行)に収録されているこれ。よくぞこんなものがお咎めなしで発行されたものです。
(図3)
(図4)
(図6)
(図10)
このマンガは埼玉県人をアパルトヘイト下の黒人のように描き、埼玉人の主人公が差別を撤廃させるために埼玉解放テロ組織に身を投じる、という物語。
人種差別の愚かさをパロディにしているのですが、それは裏テーマのようで実際は田舎モノおちょくりギャグの連発です。
ブラックなギャグの妙手で、特に悪口の天才、魔夜峰央の手にかかれば埼玉はこんな風に扱われてしまいます。
埼玉県民はさらに田舎モノの茨城原住民を搾取し、虐げているのです。
黒人差別がひどかったアメリカでも、黒人の下にさらにわれわれ黄色人種がいて差別されてたのと同じ構造ですね。
いまでこそ超巨大な「さいたま市」効果で大都会になった埼玉ですが、 僕の住んでたところは名物が肉ウドンとタンメンという有様だし、街中をクマンバチがブンブン飛んでたり、 夜更けにムカデがポトンと布団の上に落ちてくるようなところでした。
ちなみに茨城では、林を歩いていると上から山ヒルが落ちてくるといいます。クマンバチ、ムカデ、山ヒルか・・・田舎指数高いなー。
しかしふつう東京人が他県人を田舎モノ扱いしているのを見たり、言動の端に中央意識が感じられたりするとイヤーな気分になるものですが、 ここまで徹底されると笑うほかありませんね。
だけれど何が魔夜峰央をして、こんな差別ギャグを作らせたのでしょうか?
実はあとがきにもあるように、この当時魔夜峰央は所沢に住んでいた。
しかも家の近所に編集と編集部長も住んでいて生きた心地がしない。
世間でも「ダサイタマ」などと嘲笑されていた時代。
それで埼玉・所沢をおちょくってやろう、と思い立ったと。いわば自嘲ギャグですね。
ところがこの作品を書いているうちに横浜に引越しが決まったので、そうなると埼玉をバカにしたら単に嫌味になるのでやめた、と。 いさぎいいんだか行き当たりばったりなんだか分からない話です。
例の茨城差別の部分は、当時のアシスタントと「茨城と埼玉どっちが田舎か」という論争をよくしていた、と確かパタリロで明かされていた気がします。
人種差別の愚かさをパロディにしているのですが、それは裏テーマのようで実際は田舎モノおちょくりギャグの連発です。
ブラックなギャグの妙手で、特に悪口の天才、魔夜峰央の手にかかれば埼玉はこんな風に扱われてしまいます。
- 埼玉県人はつい最近までランプと囲炉裏で生活していた(図3)。
- 埼玉・東京県境には関所があり、通行手形が必要(図4)。
- 三越は都民の場所、県民は星友に行け!(図5)
- それでも三越をうろついていると埼玉狩りにあう(図6)。
- 学校は都会さによってABC順でクラス分けされ、埼玉県民はZ組、制服はもんぺにゲートル、地下足袋。同じ生徒にも蔑視の目で(図7)。
- 具合が悪くなったので薬をくれるようにいっても「草でも食わしておけ!」(図8)
(図9)
- 東京で食堂に入ると都民用と県民用でメニューが別れている。県民用は「サンマの骨定食」「ネズミカツ」(図9)
- 埼玉県民はコヤシの匂い、豚小屋のにおいがしみついている(図10)。
- 所沢ギャルの生態(図11)
- 埼玉県には土曜も日曜もなく、あるのはこんな曜日ばかり(図12)
- 埼玉県特有の病気、サイタマラリヤ(図13)。春日部蚊が原因で起こる。
(図14)
- 茨城は荒野を越えた地にあるゴーストタウン(図14)。
- 茨城では農作物が納豆しか取れず、原住民は白いゴハンに納豆をかけて食べるのが夢(図15)。
(図15)
黒人差別がひどかったアメリカでも、黒人の下にさらにわれわれ黄色人種がいて差別されてたのと同じ構造ですね。
いまでこそ超巨大な「さいたま市」効果で大都会になった埼玉ですが、 僕の住んでたところは名物が肉ウドンとタンメンという有様だし、街中をクマンバチがブンブン飛んでたり、 夜更けにムカデがポトンと布団の上に落ちてくるようなところでした。
ちなみに茨城では、林を歩いていると上から山ヒルが落ちてくるといいます。クマンバチ、ムカデ、山ヒルか・・・田舎指数高いなー。
しかしふつう東京人が他県人を田舎モノ扱いしているのを見たり、言動の端に中央意識が感じられたりするとイヤーな気分になるものですが、 ここまで徹底されると笑うほかありませんね。
だけれど何が魔夜峰央をして、こんな差別ギャグを作らせたのでしょうか?
実はあとがきにもあるように、この当時魔夜峰央は所沢に住んでいた。
しかも家の近所に編集と編集部長も住んでいて生きた心地がしない。
世間でも「ダサイタマ」などと嘲笑されていた時代。
それで埼玉・所沢をおちょくってやろう、と思い立ったと。いわば自嘲ギャグですね。
ところがこの作品を書いているうちに横浜に引越しが決まったので、そうなると埼玉をバカにしたら単に嫌味になるのでやめた、と。 いさぎいいんだか行き当たりばったりなんだか分からない話です。
例の茨城差別の部分は、当時のアシスタントと「茨城と埼玉どっちが田舎か」という論争をよくしていた、と確かパタリロで明かされていた気がします。
(図5)
(図7)
(図8)
(図11)
(図12)
(図13)
(図16)
「この物語はフィクションであり実在の人名団体名特に地名とはまったく関係ありませんのでそこんとこよろしく」(図16)
この一言でOKになるところでしょうか。魔夜峰央といえば最近は「親バカ日誌」で娘と息子にデレデレになっている様子ばかり思い浮かびますが、 皮肉たっぷりの悪口屋パタリロは全然変わってないまま連載中だし、根の部分は全く変わらないですね。丸くならないことのスゴさを感じさせます。
そういや「親バカ日誌」でも
「わたしはゲイの素質はないのだが、息子が赤ん坊の頃、気になってちんちんを舐めてみた」
「でもなんか違うと感じた」
余談ですが「親バカ日誌」でググると、でるわでるわ無数の子育てブログが引っかかりますが、 たぶんそのブロガーの中で、一人だって息子のちんちん舐めたことある親いないと思うよ。かなわない人、ってたぶんこういう人でしょうね。一生ついていきたいと思います。
「やおい君の日常」「パタリロ」など魔夜峰央の作品は札幌店でも多数取り扱っております。
(担当岩井)