余談ですが本稿担当は、子供のころマンガや小説で、主人公のセリフだけ声に出して読む癖があって、父親から「かわいそうな子」だと思われて心配されたことがあります。 それくらい主人公に感情移入していて読んでいた…といいように解釈しておいてください。
主人公の特徴として代表的なものに、「不幸」というものがあります。
なので、今回はこの人から。
(図1)
鶴田画伯の絵も懐かしいこの方は、「道士リジィオ」(図1)です。
今はそうでもありませんが、ライトノベルを創成期から支えている作家のひとりでもある冴木忍先生の書く物語には、 必ずといっていいほど「不幸な主人公」ばかり出てくるといわれていた時期がありました。
この「道士リジィオ」に関しては、冴木先生が「ハンサムなせいでひどい目に逢う人がいたらどうだろう」という発想から生まれたそうです。
その結果主人公・リジィオは、絶世の美形であるがゆえに、子供のころから変質者に付きまとわれ、道士の素質があったせいでやりたくもない道士の修業をさせられ、 やっと修行が終わったと思ったら父親の残した莫大な借金を返すハメになります。
リジィオの持つ「不幸」は、他人から見れば滑稽なものであると同時に、本人にしてみれば実は深刻なものである、と設定されています。
実はリジィオには、物語世界でもトップクラスの魔力の素質があり、その気になれば世界征服すらできる、とされています。 にもかかわらず、リジィオは人間としてまともに生きたいがゆえ、莫大な借金をかえさざるをえない状況にあるわけです。
リジィオの「不幸」は、読者が物語を楽しく読むためのスパイス、という程度のもの(もちろんリジィオ本人にとっては深刻ですが)でした。
一方、同じ冴木作品でも、この人の持つ「不幸」は、そんな生半可なものではありませんでした。
(図2)
(図3)
画集「龍骨」(図2)も発売された田中久仁彦先生がイラストを手掛けた、全9巻におよぶ長編物語「卵王子カイルロッドの苦難」(図3)の主人公・カイルロッドの持つ「不幸」は、 当時リアルタイムで読んでいた読者(担当も含めて)が、受け止められないほどの重厚な「不幸」でした。
最初のころこそ「卵から生まれた王子」と呼ばれてバカにされる、といった程度のものだった主人公カイルロッドの不幸は、 徐々に「運命」とか「宿命」と呼ぶべき悲壮なものへとグレードアップしていきます。特に6巻を読んで驚愕した読者はあまりにも多いでしょう。
「卵王子カイルロッドの苦難」シリーズは、海外の重厚な異世界ファンタジー小説に比べても、決して引けをとらない物語だったと思います。
そうなった一番の理由はやはり、主人公の「不幸」の壮大さがちゃんとしていたからだと思います。
この場合の「不幸」は、「運命」とか「波乱万丈」とかと同義語だと思ってもらえばいいかと思います。
次回もライトノベルの主人公キャラについて考えます。
(担当 有冨)
※この記事は2009/2/4に掲載したものです。